中国語ゼロで上海赴任した私が驚いたこと8選|15年前の実体験から

中国赴任のとき上海で驚いたこと8選 海外渡航ガイド

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中国に単身で赴任したとき、日本とのギャップにたくさん驚きました。

私が上海に赴任したのは、今から15年ほど前。
現在のデジタル化が進んだ中国とは違う部分もあると思います。
でも、現地での戸惑いや、言葉が通じない中でどう乗り切ったかは、今でもきっと赴任・帯同予定の方の参考になるはず。

この記事では、私が中国語ゼロで飛び込み、2年間の上海赴任で受けたカルチャーショックを8つ厳選して紹介しています

また「2026年現在はどう変わったのか?」という最新情報も合わせて盛り込みました
海外赴任・移住前の予習として、またはクスッと笑える読み物として私の実体験をぜひ活用してください。

中国での生活は、毎日がカルチャーショックの連続でした。
幼児の服装からトイレ事情、春節の爆竹まで、日本では見たことのない光景ばかり。
ここでは、中国語ゼロで上海に赴任した私が実際に驚いたことを8つ紹介します。

なお、15年前の体験談なので現在とは異なる部分もあります。
そこで各エピソードの最後に、「2026年現在はどう変わったのか?」もあわせてまとめました。
ぜひ昔と今の違いも楽しみながら読んでみてください

中国で幼児が開襠褲(股割れズボン)を履いて遊んでいる様子。
それをみて驚く日本人女性。

最初に紹介したいのは、中国の幼児が履いていた伝統的な開襠褲(カイダンクー)、いわゆる「股割れズボン」です。
ズボンの股の部分が開いていて、幼児がそのまま用を足せるように作られています。

15年前、ローカルな住宅街を歩いていたときのこと。
家の前で遊んでいる子どもを見て、私は思わず二度見しました。

「えっ、ズボンが破れてる!?」
最初は転んで破れたのかと思ったのですが、周りの子ども達も同じズボンを履いています。

あとから、これが中国では昔から使われている子ども用の衣服だと知り、カルチャーショックを受けました。
当時の私には驚きでしたが、紙おむつ代がかからず、トイレトレーニングもしやすい合理的な理由があるそうです。

★2026年現在は?

都市部では紙おむつが普及し、上海などの大都市ではほとんど見かけなくなりました。
今では「少し昔の中国を象徴する風景」の一つになっています。

15年前の中国のトイレに戸惑う日本人女性

社宅や職場のトイレは日本とほとんど変わらず、実は中国でトイレに困った記憶はあまりありません。

ところが、ある夏に一人旅へ出かけようと上海駅へ向かったときのこと。
トイレに入ろうとして、思わず足が止まりました。

個室の扉は上下が大きく開いていて、なんだか落ち着きません。
さらに当時は、トイレットペーパーを流さず備え付けのゴミ箱に捨てるのが一般的でした。
そのため、ゴミ箱には紙が山積みになり、独特の匂いも漂っています。

日本の清潔なトイレに慣れていた私は、「うわっ……どうしよう」と一瞬ためらってしまいました。
中国語ゼロで一人旅に挑もうとしていた私は、その時点ですでに少し心が折れかけていた気がします(笑)。

★2026年現在は?

その後、中国では国を挙げた「トイレ革命」が進みました。

上海などの大都市では、ショッピングモールや観光地のトイレは驚くほど清潔になり、日本人でもほとんど違和感なく利用できるレベルです。

中国の市場でマンゴーを手に取ってよろこぶ日本人女性

当時、中国の物価はとても安く、1元はおよそ13円ほどでした。

日本では高級品のイメージがあるマンゴーも、上海では手頃な値段で買えたので、私は大喜び。
市場で見かけるたびに買っては食べ、買っては食べ……。
「日本ではこんな贅沢できない!」と、すっかり調子に乗っていました。

ところがある日、口の周りが真っ赤に腫れ上がり、かゆくて仕方ありません。
慌てて病院へ行ったところ、「マンゴーが原因でしょうね」と言われてしまいました。

まさか人生で、マンゴーの食べ過ぎを医者に注意される日が来るとは思ってもいませんでした。
何事も、やり過ぎは禁物ですね。

ハルチコ
ハルチコ

上海には日本語ペラペラのお医者さんが常駐していて、とても助かりました!
私の主治医は、点滴&大量の薬が大好きでした。

★2026年現在は?

今では生鮮食品の宅配サービスも発達し、果物や野菜がスマホで注文できる時代になりました。
便利になった分、食べ過ぎにはますます注意が必要かもしれません(笑)。

上海でタクシーを利用しようとして手を上げる日本人女性

上海では、多くの駐在員が車を持っていませんでした。
街中をタクシーがたくさん走っていて、手を上げれば停まってくれるからです。

中国語が話せなくても、女性1人でも大丈夫。
紙に書いた行き先を見せれば、目的地まで連れて行ってもらえました。
日本の感覚だと「タクシー=贅沢」ですが、当時の上海ではずっと身近な存在でした。

なかでも驚いたのが、杭州へ旅行したときのこと。
同僚の女性3人で、なんと丸1日タクシーをチャーターして観光しました。
しかも、上海から杭州までの往復を含めても、3人で割り勘すれば手が届く金額。

日本では考えられない感覚だったので、「中国のタクシーって安い!」と衝撃を受けたのを覚えています。

★2026年現在は?

当時のように道端でタクシーを捕まえるより、今はDiDiで呼ぶのが一般的。
私が住んでいた頃は「紙に住所を書いて見せる」が最強でしたが、今はスマホが最強の時代になりました。
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北京へ旅行したとき、寝台列車を利用したのですが、相部屋の人にも恵まれてとても楽しい旅になりました。

そこで今度は、一人で黄山を登ってみようと計画。
同じように寝台列車の切符を予約したつもりだったんです。

駅のチケット売り場には長蛇の列。
やっと順番が回ってきた頃にはヘトヘトでした。
窓口の人が何か質問しているようでしたが、中国語がまったく分からない私は、「对、对(はい、はい)」と、とりあえず返事。

そして旅行当日。
ホームで切符を見ながら車両を探していると、どうも寝台車ではないようです。
嫌な予感がしながら乗り込むと、切符の番号は6人掛けボックス席の真ん中でした。

その日は一晩中、にぎやかな中国人に囲まれながらの移動。
さらに車内には臭豆腐の強烈な香りが漂い、結局ほとんど眠れませんでした。

中国語を少しでも聞き取れたら違ったのかもしれませんが、今となっては笑える失敗談です。

★2026年現在は?

鉄道チケットは「12306」アプリで予約するのが一般的になりました。
外国人もパスポートを登録すれば利用しやすくなり、私が長蛇の列に並んでいた頃とは大きく違います。

中国の春節の写真を撮っている日本人女性

上海で迎えた初めての春節。
夜になると、あちこちで爆竹の破裂音が鳴り始めました。

そのうち音はどんどん激しくなり、窓を開けると四方八方で花火が打ち上がっています。
街は硝煙と煙に包まれ、空気まで白く見えるほど。
NHKの「ゆく年くる年」のような、日本の静かなお正月の雰囲気に慣れていた私は、その迫力に圧倒されました。

それでも怖いというよりは面白くて、ついカメラを片手に外へ。
煙の立ちこめる街を歩き回りながら、戦場カメラマンのように写真を撮りまくったのを覚えています。
日本とはまったく違う年越しに、驚きながらもワクワクした体験でした。

★2026年現在は?

当時は街中で盛大に爆竹や花火が打ち上げられていましたが、その後は事故防止や大気汚染対策のため規制が進みました。
上海などの大都市では、私が体験した頃ほど自由に爆竹を鳴らす光景は少なくなっています。

中国の電車で、相席になった中国人からカップラーメンをいただいている日本人

「司馬台長城を見てみたい!」と思い立ち、上海から北京まで女性一人旅もしました。
そのとき利用したのが寝台列車でした。

初めての相部屋だったので少し緊張していたのですが、一緒になったのは中国人の若い女性たち。
幸い英語が話せる人がいて、寝る時間までおしゃべりをして過ごしました。

「これ食べる?」とカップラーメンやお菓子を分けてくれたり、片言の英語で気を遣ってくれたり。
おかげで長い移動時間も退屈することなく、むしろ楽しい思い出になりました。

もちろん相部屋なので当たり外れはあると思います。
でも私にとっては、大当たりの旅でした。

中国出張の経験がある夫は「中国出張は大変だ」といいます。
それでも私の中に残っているのは、こうした現地の人たちに親切にしてもらった温かい思い出ばかりです。

実は黄山を一人で登ったときも、すれ違う中国人たちが「加油!(がんばれ!)」と声をかけてくれました。
中国での思い出を振り返ると、驚きよりも人の温かさの方が強く残っています。

★2026年現在は?

高速鉄道が発達し、長距離移動でも寝台列車を利用する機会は以前より減りました。
それでも、中国の人との距離の近さや気さくさは、今も変わらない魅力だと思います。

中国人の友人宅に招待された日本人

中国語ゼロで上海に赴任した私。

仕事帰りによく通っていた日本人向けのラーメン屋で中国語の勉強をしていたところ、店員の女性から「中国語を勉強したいですか?」と声をかけられました。

彼女は日本語を勉強中。
それがきっかけで休日に会って、お互いの言語を教え合う友達になりました。

一緒に餃子パーティーをしたり、おいしい酸辣湯のお店を教えてもらったりと交流が続く中、ある日「私の家に遊びに来て」と招待されました。

訪ねてみると、そこは私が想像していた中国の家庭とはまったく違う世界でした。
玄関を入るとすぐに生活空間。
部屋の中央には箱の上に板を載せたテーブルがあり、裏返すと調理台として使います。

壁際には長い収納兼ベッドがあり、4人家族がそこで寝ているとのこと。
暖房器具もなく、家の中でもコートを着ていました。
「今日、泊まっていく?」と聞かれましたが、どこに寝るのか想像できず丁重にお断りしました(笑)。

それでも家族みんなが温かく迎えてくれ、たくさんの家庭料理をごちそうに・・・・・・。
ガイドブックには載っていない中国の暮らしと人の温かさに触れられた、忘れられない思い出です。

ちなみに彼女とは、15年経った今でも交流が続いています。

15年前の中国と現在の中国では、インフラやデジタル環境が大きく変わりました。
股割れズボンや長蛇の列の切符売り場など、今ではあまり見られなくなった風景もたくさんあります。

それでも、中国で出会った人たちの温かさや、人との距離の近さは今も変わらない魅力だと思います。

私自身、中国語ゼロで飛び込みましたが、現地の人たちに助けられながら、とても楽しい2年間を過ごすことができました。
これから中国赴任や帯同を予定している方も、ぜひ現地の人との交流を楽しんでみてください。
カルチャーショックの先には、ガイドブックには載っていない素敵な出会いが待っているかもしれません。

また、次の記事も参考にどうぞ。
現在の中国ではスマホやネット環境の準備が欠かせません。

さらに、中国語が少し分かるだけでも生活や旅行の楽しさは大きく変わります。

ハルチコ
ハルチコ

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